2017年8月14日 日課

自分はいま、幸せだろうか。

これを毎日、正直に答える。
自分はこれが得だと思って行動するタイプ。
損なことをしたくないと考える。

しかし、頭脳だけで行動し続けていると、
気持ちが付いてこない場合も中にはある。

得なのはわかるが、本当にそれが良いのか。
名誉、お金、快楽。
それらを追求した先に、必ずしも幸せは待ってはいない。

無視しがちな気持ちを中心に満足のいく生き方を続けていきたい。

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洗礼を受けた

2017年3月5日に洗礼を受けた。
自分がそこで体験した経験を後のために書き記す。

洗礼を受けるキッカケ

洗礼自体を受けようと思ったキッカケは、私がクリスチャンになって2週間後の礼拝のときだった。
端的に言うと神様の存在を肌で感じたからだった。
実際、礼拝に参加する前はとても冷たかった手が、温もりで満ちていた。

賛美歌を歌っている最中には、誰かと抱き合っているかのような温もりを感じていたのである。
これこそ、神様が近くにいて自分の心の奥底から恵みを与えているものだと確信した。
まさに愛そのものに触れた瞬間だった。

その礼拝以来、どこへ行っても自分の心には満足感が漂っていた。

物欲しさにこう言っているのではありません。
私は自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。

自分の側に神様は常にいてくれている。
それを感じ、今度は肉体とクリスチャンとして信仰を持っていることをまわりに示すために洗礼を受けることを決意した。

洗礼当日

自分自身は洗礼を受ける直前まで全く緊張も何も感じていなかったし、
そもそも内側で大きな変化を既に遂げているので、洗礼自体は形式的なものでまわりに見せるものだと思い、あまり何とも思っていなかった。
しかし周りの人たちから「おめでとう!」と事あるごとに言って頂き、自分は神様と対面し生まれ変わるのだと確信した。

洗礼自体は教会内にあるプールにて行われた。
3月上旬で水に浸るのは、正直とても寒かった。
自分が教会に通いだして洗礼を受けるまでの行いをアナウンスしてもらい、洗礼前にお祈りを行った。

すると明らかな変化が起こった。
目を閉じているのに周りが見えるのだ。
明らかにオカシイ。矛盾でしかない。

そして水に浸かる。
見えるのだ。水の中から外の世界が。
まるで水中カメラを天井に向けて指し示したかのように、光と水に包まれる光景が目の前に広がっている。

そして耳元でささやかれた。
「私はお前を認めたのだ。」と。

その声を耳にしたとき、自分は既に洗礼を終えていた。
と同時に何ともいえない高揚感と、激しい温もりが全身を覆った。
身体から湧き出てくるエネルギー、感謝、大喝采の拍手音。

生まれたときに得た祝福を目の当たりにした。

と、同時に涙が止まらなかった。

これまで自分が犯してきた罪に対する涙。
今、神様が私を許し、神様の子として認めてくれたことに対する感謝の涙。
周りが新たな私の誕生を祝ってくれて嬉しい涙。

これまでの人生の中で、最も幸福だと感じた瞬間だった。

もはや最初に水に浸った寒さは微塵も感じない。
むしろ全身を包む温もりの存在を感じ、私のなかに、今精霊が降りてきたのだと理解した。

それは私に導きと力を与えるだけでなく、人の持つ精霊の強さや真実は何か分別のつく視点が備わった気がする。
神様に従い、これからは生きていく。

今日は長くて120年程度の人生の中で、大きな一日になった。間違いなく。

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。霊を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまで残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙 一 13:1ー13)

小型聖書 - 新共同訳

小型聖書 - 新共同訳

甘えの思考回路

‪小さい頃にいじめられても母親に見向きもされないことが嫌で、成績を悪くして心配してもらおうとするも、結果的にそれは自分の幸せじゃなく、成績を上げて逆に注目してもらおうとするも上がらなかった。結局そいつはど田舎の大学に行って親とは決別、しきないまま、注目を浴びて自分の親に見てもらおうとした。‬

人から嫌われず、傷つかず、逃げ回り、注目してもらうために人生を費やしてきた。

という、夢を見た。

目標という甘え

できる人は目標を持たず、基準を持つ。

目標は加点法であり、100%やらなければ目標を達成することはいつまで経ってもできない。
自分に甘いやつは基本これ。

一方、基準は減点法であり、100%やることが前提となる。
つまりゴール地点にいることが当たり前なのだ。

成功者は考え方から成功している。

個性を殺せ

未来社会を築く」

いくつかの企業が理念と掲げている、この言葉。
エンジニアでこれを座右の銘のように掲げている人を何人も知っている。

もちろん、人類の発展のために貢献することは大切だとは思うけれども、少し違った解釈の間違いによって、全く結果が異なってしまうと思う。

要は自分に引き寄せようとする個性を重視したやり方か、一般的な正解を重視したやり方か、ということ。

未来社会を描くために、自分はこうなって欲しい願望をぶつけることと、こうなるべきだという正解を求めることは全く違ってくる。

後者のような「まずは一般的な正解」が受け入れられている世の中を謙虚に受け入れることが大切。



P.S.
どうも文章がまどろっこしい。
なんとかできないものか…。

2016

すこぶる体調が悪い年末年始だ。

とりあえず2016年に何をしたのか、まとめる。

1月
研究室を決めた。
この学期を修了して120単位を取得した。

2月
スパースモデリングに関してとても調べていた。
yutasugii.hatenablog.com

3月
論文を書くためには知識不足が明らかだったので、ここに掲載している本を読み漁っていた。
また関連分野にも興味を抱きだしたので、学会にもいくつか参加していた。
yutasugii.hatenablog.com

4月
論文を書くことが目標になかったので、知的好奇心がなくなり、路頭に迷う。
完全に研究分野から離脱している内容になっているのが、顕著に迷いを表している。
yutasugii.hatenablog.com

5月
この頃、TEDxや留学計画(結局頓挫した)でとにかく頭がいっぱいだった。
ただ最終的な目標が定まっていなかったので、不安と迷いに溢れていた。
yutasugii.hatenablog.com
yutasugii.hatenablog.com
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うん、迷っているね。
yutasugii.hatenablog.com
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特に迷いが顕著。
yutasugii.hatenablog.com

6月
とにかく頭がTEDxでいっぱいだった。
yutasugii.hatenablog.com

あと、まだ迷っている。
yutasugii.hatenablog.com

7月
まだまだ迷っている。
yutasugii.hatenablog.com


8月
なんか焦っている。
yutasugii.hatenablog.com

物事を考える幅が狭かったので、極論から導き出す考え方がマイブームだった頃。
yutasugii.hatenablog.com

9月
すごく自分視点。自分の尻尾をグルグルと追いかけ回していた。
yutasugii.hatenablog.com
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10月
自分の見方しかできない人間が相手の立場に立ってプレゼンした。
結果的にとてもメンタルがやられたやつ。
yutasugii.hatenablog.com

11月
上京していろんな人に助けられた。
現在の社長に内気な考え方を根本から変えてもらった。
yutasugii.hatenablog.com

お金を生む時間を費やしてものを買っている。

yutasugii.hatenablog.com

12月
自分の解釈からでしか答えを生み出せない人間だったので、次元の違う人の意見を理解することができなかった。理解しているつもりだと、こういう意味の分からない(複雑・抽象的過ぎる)概念になってしまう。
yutasugii.hatenablog.com

原因から結果につなげるためには、
現在の原因を分析→これからどうするか再発防止策を考える
となってしまう。

でも結果を出すことが目的だったのに、再発防止策を考えることで満足してしまうので、この考え方は無駄になる恐れがある。しかも原因がいくつもあったら再発防止策がとてつもなく多くなってしまう。

そうではなく、
結果を出すためにどうすればいいか
という目標に純粋に考えた方がいいという話。
yutasugii.hatenablog.com

そして自分自身、出来ない人間の原因を探る旅をやめて、目標を実現する人間になる行動を今後はしていきたい。