大学は本当にいらないのか?僕の考える『大学像』について

会津大学に在学して4年が経過し、ちょうどShare Studyのとしちるさん*1から「大学像」をテーマに書いてほしいと何度も何度も熱いラブコールを受けたので投稿します(笑)*2


目次

大学は本当にいらないのか? 不要論の原因

今も大学進学率は年々増加傾向にあるらしく、2017年度の大学への進学率は全体で52.6%*3だそうです。そんな中で「日本には大学が多すぎる」とか、「今の時代は大学に行くべきではない」とか、いろんな声が飛び交っていますよね。

多分、その1番の原因は、社会にとって一番必要なことを学生の年代の若者たちが取り組めていないから、こういう議論が生まれるのだと思うんです。大学というものを置くことで、日本の若者の半数以上が大学生になり、10代後半から20代前半の最も柔軟性があり体力もあり脂乗っている学生が経済活動に貢献しきれていない、その現状に対する不満が大学不要論っていうところに出てきているのではないかと思います。

まさに少子高齢化による間接的な国の課題が、人々の不満として現れている代表例だと思います。社会のいたるところで労働者が不足し、高齢化している。そんな現状の中、博士取得した学生よりも、学部卒の学生を自前で育てた方が安月給でしかも瞬時に多くの人数を現場投入できます。

また大学で4年間学んできた知識よりも、会社でたった数週間の研修や実際に仕事をする中で得る知識・技術の方が直接仕事の現場に活用でき、給料も得ることができるので、会社の人も、学生だった人にとっても大学不要論は感情的に唱えたくなるのでないでしょうか。

しかし、私はそれでも大学はこの世の中には必要な場所であり、世の中で叫ばれている大学不要論のほとんどは本質的ではないと思っています。なぜなら大学不要論のほとんどが社会的な課題や資本主義社会による大学の立ち位置のゆらぎ(一時期のブームのようなもの)であり、そもそも大学を卒業する学生を積極的に雇おうとしている企業やより国富を増やしたい政府側の都合を述べたものがほとんどであると思います。大学自体は本来のあるべき姿さえ実現していれば特に問題がないと思います。

特に入学者も全体比率からして増加傾向にありますし、大学生の求人倍率もバブル期を超えている現状、大学自体不要であるという話と真っ向から現状が対立しています。その上で企業や社会が求める人材を育成する機関として存在になるかどうかは各大学ごとの経営・教育方針の次第ではないでしょうか。

後に述べますが、大学そのものがこの世界に生まれた当時の目的も今ではほとんどの大学は達成できていると思います。大学不要論を語る上では、どういった観点から不必要なのか、何を目的として議論をしているのか、明確にする必要があると思います。

では、そもそもの原点に立ち返り、大学はなぜ必要なのか。そこから話していこうかなと思います。

なぜ、大学は存在するのか。

「なぜ大学に行くのか」ーこの疑問に対する答えを得るには「そもそも大学ってなぜあるのか」という質問に答えなければなりません。

その質問の答えをイギリスの哲学者J. S. ミルは著書『大学教育について』で、大学で得る専門的な知識は、正しい方向へ利用し正しい方向へ深化させていくことができる能力を獲得するためのツールであると考えました。つまり、大学で得た知識をそのまま利用しているだけの者はJ.S.ミルから言わせれば「無能」であって、大学で得た知識に対して自らの考え・発想をもってより深く考察し、その真理に近づこうとする姿勢を兼ね備えた者こそ「有能」であると考えます。そしてそういった「哲学的」な姿勢を身に付けるということこそが、大学の「役割」であると考えました。

ちなみにこうした能力をJ.S.ミルは「一般教養(general culture)」と表現しています。

つまり大学は知識を得るような場所ではなく、あくまでも今ある学問が本当に正しいものなのか、あるいは純粋な好奇心に基づき知識を得て、さらに深く考えるための研究機関として大学というものは存在するのであり、教養のある人間を育てる場所なのです。この点が経済活動に結びつくことを目的としていないため、最も資本主義社会の求める部分と乖離する場合もあれば、最終的に見事に合致する場合もあるのではないでしょうか。

コンピュータ理工学部の観点から

ちなみに会津大学はコンピュータ理工学部単科大学なのですが、このJ. S. ミル的な考えをコンピュータ理工学部に当てはめてみると、既にある仕組みについて学び、その改良を試みることになります。コンピュータを次の世代へとバージョンアップをしていくにはどうすればいいか、理論だけでなく実際に手を動かしモノをつくりながらも取り組める学問ということです。その点こそ、大学と専門学校とが1番大きく異なるところでしょう。

福沢諭吉先生の慶應義塾大学創学の考え

また日本でも大学として創設する際の目的はどのようなところにあったのでしょうか。日本を代表する偉人の福沢諭吉先生は慶應義塾大学を創学する際に『芝新銭座慶應義塾之記』にてこのように記している。

今ここに会社を立て義塾を創め、同志諸子相共に講究切磋し、以て洋学に従事するや事本と(もと)私に非ず。
広くこれを世に公にし、士民を問わず苟(いやしく)も志あるものをして来学せしめんを欲するなり

つまり、創学の目的として
① 学問をともに「会社」、つまり同志による共同体をつくることで講究しつつお互いが切磋琢磨し合い、
② 洋学という学問に従事することが単なる私事ではなく、
③入社資格が身分ではなく「志」の有無にある
という3点を実現するためであると述べている。


実際に現代において、
① 大学として組織づくりを全国で作られており、
② 学生として身分が社会的に認められ、
③ ある一定水準の学問と経済レベルを有していれば誰もが入学できる
ので、どれも実現することが出来ているのではないだろうか。

高校生からしたら、1度は裏切られるかもしれない大学像

なのでここまで読んでみて、気づいた人はいるかもしれないですけども、高校生が端に「これを学べるから」「これを得られるから」と思って大学に入学してしまうと、大学は期待と全く違う場所であると期待を裏切られる人もいるかもしれません。

なぜかと言うと、大学は教育機関ではなく研究機関だからです。

なので教授陣は自分の研究を進めるためというものが一番の目的になりますし、 あくまでも後続を排出するということはその研究に直接的に関わるような人でない限り、教育する必要性は人により優先順位が変わってきます。もちろん、彼らは研究のプロであり、教えることに関してはプロではありません。

なので高校から大学に入学したら、学校の先生像の延長線上に教授像があると思ったら全く裏切られるかもしれません。僕も大学に来て、まず最初に教えてもらったことは「勉強は自分でやるもの」という超基本でした。

大学の多様化

社会的な求められるものに合わせて、大学はどんどん多様化しています。

単に学問を深められる場所を提供すればよかったものが、いつしか地域の課題が大きくなればなるほど(特に官公庁から資金を得ている公立大学法人は)その地域にとっての資産である「大学」として捉えられるようになり、その地域の問題を大学を通じて解決していくような人も出てくるでしょう。

あるいは良い就職を願って、その企業に求められる人材に成長するための機関として活用する人ももちろん出てくるだろうし、あるいは自分自身が今これだけの時間があるから、四年後の卒業証書さえもらえればいいからと考え、自分の、例えば卒業旅行に向けてバイト代を稼ぐ期間として大学在住の時間を使う人も出てくるでしょう。

そういった自分のやりたいことが実現できる4年間にはなっていると思います。

ただ最後の例は「モラトリアムを生むだけ」と批判する人も出てくるでしょうね。そこは今の日本の大学のほとんどが飛び級を認めず、大学の学部在学期間を4年間と定めてしまっていることに要因もあるような気がします…。

今の日本の現状は、高校で卒業したら企業に雇ってもらえないから、やむなく大学というものに入って四年間学び、卒業したら企業に就職できるステップアップの段階と考えられることがあります。しかし、単位さえ取れれば、多くの時間遊んでても四年間過ごして卒業証書さえもらえれば就職はできるわけで、果たしてこの四年間何の意味があるのかっていうものに対してすごく疑問に感じてる人は自分の周りにも多くいます。


特に大学で受けた授業と全く関係のない就職であったら尚更この疑問は深まるばかり。だから大学は不要なのではないかっていう話になっています。したがって、大学不要論の1番の問題は多くの大学生の雇用先となっている企業側とのミスマッチに問題あり、そういった需要に対して大学自体がどのように対処するかは別問題であると思います。

今後の大学像について

今後の大学は日本の人口減少と伴い、大学自体の運営も以前と増して難しくなってくるでしょう。そうすれば自然と大学も経営するための観点から逃れられなくなってきます。特に、

良い研究=お金を生む
良い研究室=特許料やベンチャー企業のようなもの

といったようにさらに経済的な指標によって、いかに結果を生み出すかがさらに求められてくる時代になると思います。

少子高齢化が進むことで、学生数も少なくなり、研究費用を自前の大学からいかにお金を生みだせるか。小泉内閣規制緩和で一気に増えた大学数もどれだけ生き残れるか、勝負の時代になってきそうです。

最後に

大学像について大まかに主観も入り混じりながら記しましたが、大学に入る人はどのように学ぼうとしても自由だと思います。特に入学から卒業までの期間が定められてしまっている場合は、その間の時間をどのように活用しても大丈夫だと思います。現に僕も学部2年を終えた段階で卒業に必要な単位数は取り終えていました。なので3年生のときは授業にほぼ出ていません。

ただこの社会で少しでも活躍できる人になりたい、という人は
① 何を学ぶために、
② どこの大学で誰のもとにいて、
② 課題をどのように解決するか
意識すればその後の研究にも仕事にも活かせるはずなので、損は絶対ないと思います。

大学教育について (岩波文庫)

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追記

というか宣伝。
来る2018年3月29,30日、茨城県常陸太田市に立地する『里山ホテルときわ路』にて、全国各地から集まったアンバサダーと共に語り合うACADEMIC CAMPを開催。「大学」を「学問」「地域」「教育」という観点から捉え、これまでにどのような歴史的・社会的背景があったのかを共有し、問題点や改善点を整理するためのワークショップを開催されます!ぜひ興味のある方はご参加下さい〜。
share-study.net

*1:青山俊之さん

*2:本記事は2018年3月29日,30日に行われるACADEMIC CAMPに関連し、自分の思う「大学像」について記したものです。

*3:大学進学率をグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース

美とは、美そのもの

プラトンの著書『饗宴』の中でソクラテスが「美とは、美そのもの」と唱えたように、ある概念に対してどれだけその概念を説明する文言を加えたとしても、その概念そのものを超えることはできない。

この精神は2000年経過した現代でも通じる。

情報化されたもの以上に、体験した経験こそ、いつの時代でも大切にされることは、人間の最初で最後の可能性なのかもしれない。

饗宴 (岩波文庫)

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饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))

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正義とは

正義とは、悪が存在しなければ成立しない。

もし相反する2つの正義がこの世に存在する場合、その正義とは正義であり、罪でもあるのだ。

それを認識できない人のことを、人は「信者」と呼ぶ。


人は誰しも宗教を生み出し、
人は誰しも信者となり得る。

自分の見ている世界こそ、
現実だと認識したがる。

その事実こそ、感情的で、
人間身のある人であると、
人は言うのではないだろうか。

やりたいことを明確にするには

やりたいことを明確にするには「How」を入れてない方が良い。

例えば「米国の大学に留学したい」だとすると、「なぜ米国か」「なぜ留学か」分からなくなる。切り離せば、米国だと留学費用を安く抑えられる1つのメリットとして分離できる。

本当に、純粋に、やりたいことだけを持ち続ければ、堅くならず、どんな姿にだって進化できる。

『gifted/ギフテッド』を観た

最高でした。
www.foxmovies-jp.com

なかなか上映している劇場を見つけられなかったのですが、朝9時からやっている場所を見つけたので観に行きました。

撮影や脚本、演出、役者さんの演技などすべてにおいて高いレベルのバランスの良い映画でした。最近の映画は観客の注意を引こうと思って、無理やり感情移入をさせるための激しい演出や衝撃の脚本展開をする映画がとても多くなってきたのですが、この映画はメッセージ性も、登場するキャラクターの感情も、ストーリー展開もさらに観たいと思わせる映画だった。

最近観た映画の中で最も安心して観られたかもしれない。だからといって退屈な間延びするような展開でもなく、結構踏み込んだ展開はいくつもあった。

特に自分ならどうするか。考えさせる余白がカメラに映る役者さんの表情の角度や光の当て方、ストーリー展開に十分入っていたので、スクリーン上で繰り広げられるドラマに夢中にさせるものでした。

Star Warsは単なる娯楽作品として楽しみ、こういう映画をもっと観ていきたいとStar Wars 8の鬱憤を晴らしてくれた、とてもいい映画でした。

【ネタバレ含】Star Wars 8はヱヴァQ?個人的な感想をつらつらと宣べる会

Star Wars 8をこの冬は2度観た。
starwars.disney.co.jp



あと1回ぐらいは劇場で観てもいいかなーって感じ。それは褒めているわけではなく、自分の気持ちを落ち着かせて、どのような映画だったか咀嚼させるため。決してこの映画は個人的には好きではない映画です。



あ、別に罵倒する目的でもないので「Star Wars 8こそ史上最高傑作のStar Warsだ!!」とか「ようやく待ち望んでいた新作だ!!」みたいな人は怒らないでね。これも自分の中で咀嚼させるためのアクションに過ぎないので。でもブログに載せることで、今度飯にいったときの話のタネにする的な感じなので。重要なのは光と闇のバランスですよ。笑



みたいなことを書きつつ、そろそろネタバレしてもオーケー?
これ以降は楽しみにしている人は絶対に見ないでね、自己判断でお願いします。



では、ここから自分が好きなように書いていきます。



まずこの映画作品は☆5のなかで、☆2をつけました。理由はこれから述べていきます。

ただ、これはあくまでも「「「映画作品」」」としての評価であり、「「「Star Wars作品」」」としての評価ではないことをご理解いただきたい。

これまで観てきた旧6部作、プラス1作のなかでは個人的に今回のStar Warsはシリーズ史上最低作品であり、☆5つのなかで☆0の作品です。最悪です。途中で映画館を出ようかと1度目から観ていて思いました。それだけ、これまで観てきたStar Warsという作品は自分のなかでどれだけ思い入れのある作品で、期待していたものか計り知ることができました。そのことには感謝しています。Star Wars 8を観終えたいまだからこそ、これまでの作品は何がよかったのか、自分はStar Warsのどこが好きで何を期待していたのか、じっくり旧作品を観ていきたいと思っています。こう思えたのも、Star Wars8を観たおかげだし、Star Wars作品の新作はこれからも観ていこうと思います。

このように考えられるようになったのも、Star Wars 8を2度以上観ているおかげだと思います。1度観たときは、もう胸がはちきれそうなぐらい悲しい気持ちで落ち込みました。危うくダークサイドに飲み込まれそうでした。ふぅ。。


では良かった点と悪かった点を順に語っていき、映画作品としてなぜ☆2なのか。語っていきます。


良かった点としては、さすがと思わせるぐらいの絵づくりの完成度でした。近年観てきた映画のなかで、この絵づくりの良さは最高レベルです。なぜこういう絵をいま、観せているのか。実にわかりやすく、1つひとつの絵に意図が何層にもあってかなり深みがありました。

特筆すると、最後のルークとベンソロとの師弟対決シーン。最終的にルークはフォースを使うことで、ホログラムのような自分の姿を別の場所に投影させる能力を発揮します。その際には地面の塩がルークだけ剥がれないように編集されていました。このような細部にまでこだわったり再現させる絵作りは圧巻ですし、一瞬ですがちゃんと足元を照らしてそのこだわりが伝わるようなカットを入れています。

あるいはルークのライトセーバーが真っ二つに割れるシーン。レイとカイロレンがそれぞれのライトセーバーを奪い合うシーンでは、これまで受け継がれてきたスカイウォーカー家の伝統が終わることの象徴的シーンになっていました。それだけでなく、スカイウォーカー家の血を継ぐ暗黒面(ダークサイド)と、継がない光明面(ライトサイド)の対比構造、つまり繋がりが生まれていたレイとカイロレンとの分断。ダークサイド側が圧倒的に有利な状況から、ライトサイド側へ転換される瞬間の描きとして物語のちゃぶ台返しとしての存在。などなど。。

1つのシーンで描く絵の作り方と、その背後にある意図の深さがかなりよかったです。映画を学んでいる方にとっては最高の教材ではないでしょうか。塩の下に赤字の地面、キャラクターや服、町並みのデザイン(カジノ警察がドラえもんのタイムパトロールそっくりなのが個人的にツボ)、さらには最後のシーンで子供が持つほうきのスティックが、本作に何度も出てきたライトセーバーの手元のギザギザを彷彿とさせることでライトセーバーを将来持つ暗示のような絵をつくっていたこと。また、少年がほうきを手で取るのではなくフォースを使って取っていたりするような、細かい細部の絵作りのこだわりは本当にお見事でした。

またフォースを使って会話をするシーンも、絵を切り替えるだけで全く別の場所でも会話をしているシーンとして没頭させる魅せ方はうまかったです。やっぱりこの作品を褒めようとすると、絵作りになるなぁ。

それぐらい、すごくよかったですね。それぐらいでしょうか。



さて、悪い点はあげると、評論家のようにいくらでも揚げ足取りが出来てしまう作品なのですが、やっぱり多くの方も言っているように脚本がハチャメチャ。「近年稀にみる低IQ作品」と表現されてもおかしくないぐらいです。


もう絵作りにこだわりすぎて、そっちメインになってしまいストーリーラインがめちゃくちゃでした。この作品を低評価させられているすべての原因は脚本にある、と言っても過言ではないと思います。


ぶっちゃけこの映画最大のネタバレは、ルークが最後に死ぬことやレイヤ姫が蘇生して宇宙空間を漂うとか、そんな具体的なことではなく、「すべて真逆のことが起きる」という一言でこの映画のストーリー展開が片付けられてしまうことではないでしょうか。


明らかにライアン・ジョンソンさんの今回の作品のテーマは、【バランス】。対局にある2つの要素をそれぞれ極を交互に観客に観せることで、観客のなかにも勧善懲悪ではなくバランスを個人で取ってもらい、答えを出してもらおうという各個人で最終的に心にもつメッセージが全く分かれる作品の作り方をしていました。なので、監督自身もこの作品に対する評価も二分されることを狙って作っているように感じます。

しかししかし、そのメッセージ性は良いとしても、シリーズ最長の2時間半近くこのどんでん返しを毎回されると本当にしんどい。考えさせるにしては浅いし、結局ストーリー展開はどんどん進ませるし、もやもや感を募らせる最高の脚本になってしまい、結果的に意図していた状態とはかけ離れさせる作品になってしまったのではないでしょうか。

これものすごく勿体無いことです。

この新三部作は、これまで旧6部作で継がれてきたスカイウォーカー家が示す血統の強さが力を示すストーリーから脱却し、誰でもヒーローになれる強いメッセージを観客に新たなる希望として観せられる映画にさせることができたし、何よりもスカイウォーカー家の人間がスカイウォーカー家を否定すること。そしてスカイウォーカー家の人間でない「フォースが覚醒した」売られた娘がそのスカイウォーカー家も必要だったことを伝え、新三部作だけでなく旧6部作の価値をも上げる最高の9部作品として作り上げられることができたと思う。

しかしそれが明確なカタチで伝わらんのです。

オビ=ワンのようにルークが継承しつつも、オビ=ワンのようにはなれなかったルークの失敗を晴らすことがレイの新たな指名となって、Star Warsのニューヒーローのようになれただろうし、カイロレンも自分の置かれた逃れられない運命から別の生き方ができることを伝えられる映画にもなっただろうし。

そういうことができるとStar Wars作品としても、映画作品としても価値あるものになっていたはずです。
なのに、レイが「私これ好き!」とか言っていつの間にかスノーク船から脱出してゲームをしている間に、ルークは何も継承できず死んでしまい、結局ルークとレイはあの決別の後に何も話せず終えてしまったり、カイロレンとレイの置かれた環境はかなーりあっさりした数秒程度の会話で流されるし、本当に勿体無いです。

昨年公開されたローグワンで最もよかった点は、ローグワン自体の物語性だけでなく、それによってStar Wars 4の価値を高めれたことによりStar Wars作品としての存在意味があったことです。Star Warsもルーカスの6部作から脱した新三部作を制作が決定したときに、「もうつくらなくても今が最高」と話していたはずです。新しくつくって旧作品の価値が下がることを最もファンは嫌います。

しかしそういったファンを巻き込みつつも、Star Wars新三部作としての映画的価値もあるものにするには何かしらの強いメッセージ性が大切なはずなのに、このStar Wars 8はとことん大事なメッセージのあるシーンを会話のみで終えさせる。レッスンも早く終わらせすぎ。シリーズ最長になったのは、単なる娯楽のためか。革新的な作品にするためにあれもやりたい、これもやりたい、と欲張り、無駄なシーンがとにかく目に余る贅肉たっぷりの映画になってしまった。そして肝心な部分をすべてあっさり流してしまう。

スノークの存在とは、
レイの親とは、
Star Wars 7であれだけ引っ張った内容も重大な秘密ではなくても、あっさり会話で流す演出や脚本はどうかと思った。薄い内容がさらに薄くなってしまった感じがする。

最後の子供のシーンもStar Wars 9でやればいいのに、これどうするのって感じ。ちゃんと継承してから、次の継承を10〜12で描けばいいのに、この新三部作としてのメッセージがさらに薄まりそうで恐ろしい。。これまで2作観て感じるものが何もない、単なる娯楽作品としか思えないものになってしまった。これはルーカスも「Star Warsは性奴隷となった」と言いたく気持ちも分かる(ちなみに今作はルーカスからは高評価らしく、これはルーカスの忖度なのか、この前が炎上騒ぎになった二の舞いになりたくないのか、真意はわからない)。

新キャラクターもすべてもったいなかった。
今回レジスタンスにとって一番の成果を出して頑張った紫のオバさん。なぜ作戦を伝えないのか。海賊船の船長のようなルールはいつから始まったのか。明らか居る理由がなくて、ダメな脚本のために命が捨てられた感MAX。

コードブレーカーは結局無意味だったし、ビジネスマンのおっさん(DJ)もフィンと天童よしみが、紫のオバさんの特攻攻撃で燃え盛った敵地からの脱出のときに迎えに来て「この貸しは高く付くぞ」的な感じで登場させたら、第二のハン・ソロ的な感じでかっこよかったのに、脚本と契約の関係で生まれたキャプテンファズマの見せ場のために、DJの見せ場もなく「何だったの?あの強いおっさん」みたいな感じで終わらせているし。

天童よしみはコードブレーカー見つけずに、脚本の誘導係か泣いているかの二択だし。

あとあのポケモンなに。なんかウケを狙っているのか、今回ギャグ路線が多かったよね。ファルコン号のカッコイイ飛行シーンもあのキャラが全面に出ていたおかげで、緊張感がなく興奮できなかったし、ハックス将軍の名前間違いとか、なんかいろいろとあったけどイラつくから無視した。

あーもったいない。

既存のキャラも、レイは最後ファルコン号の射的を楽しんでるだけで、最後につれてキャラとして美味しくないストーリー展開だったし、フィンも今回は足引っ張ったことしかしていないし、ポーも紫のオバさんとのボケツッコミ以外ストーリーとしての存在価値は少なかった。

各役者の演技、特にルークとレンは凄まじい演技力だったと思う分、残念。

そして演出もかなり単調&繰り返しで面白くない。人の登場で光→影→現れる見せ方何度やったのか?ここはM-1グランプリの舞台かと思うぐらい何度もやっていた。音楽も旧作品にある音楽が7とは違い、垂れ流しでこれ聴かせたらファンは喜ぶよね?的な感じがして逆に冷めたし。今作品で最も感動したのは、「In loving memory of our princess Carrie Fisher」の文字と音楽。それ以外感情が揺さぶられることはなかったのが残念。。。展開を追うだけで疲れきった。




とりあえず2回観た感想としてこんな感じでした。
感情移入ができず、ただストーリー展開に置いてけぼり、ただ絵作りのこだわりは半端ない。というのはヱヴァンゲリオンQと全く同じ感想でした。でも音楽の使い方はQのほうが好きだなぁ…。


Star Warsシリーズ全体としての意味、Star Wars8としての映画作品としての価値が、本当に勿体無い仕上がりで、今回のStar Wars 8のおかげでこの新三部作の価値がグッと下がった感じがします。お金をかけて映画界のトップが頑張ってつくった絵作りへのこだわりはとても評価できるので、映画づくりを学んでいる方は観たほうがいいでしょう。

Star Wars 9ではいっそのこと、みんなフォースの覚醒をして、フォースのインフレをしてほしい。ハックス将軍がフォースの覚醒をして、レンと俺が最高指導者だ!みたいな争いとか。

そんなところです。

大学卒業までの助言(仮)

この記事はAizu Advent Calendarの11日目の記事です。
前の人は @sansuke05 さんの
【python】睡眠時間管理するプログラム作った話 - いろとりどりの日々
次の人は @noah_orberg さん

はじめに

そもそも、今回のAdvent Calendarでは「ブロックチェーンビットコイン」 をテーマに書くつもりだった。

でも昨夜、会津大学で研究されていないテーマについての記事を読みたい人はいるのか、と気が迷い、Twitterでアンケートを取ったら案の定「大学卒業までの助言」が最も多かったので今回はこれで書く。

ブロックチェーンについては来年のイーサリアムの動向を見つつ投稿したいと思います。

本記事の目的

個人的にもこの大学に入学して文字通り「迷った」人間だったので、何かの助けになればと思い書いていきます。

分かりやすいように前半は個人的なエピソードが多めの予定。ただ、後半にかけて抽象度の高いレベルで自分が得た知見を記して、応用可能なものを提供できればと思います。

でも、そんな期待しないで。恐い人は読まないで。笑

目次

1. 会津大学へ進学をした理由
2. この大学で唯一学んだこと
3. 将来の夢、人生の目的ってなに?
4. 田舎の需要
5. 残りの数ヶ月の過ごし方=次への準備期間

1. 会津大学へ進学をした理由

会津大学は第一希望校である」とかねてから言ってきたが、高校のときは意識超低い系の人間だったのでそもそも志望校はなかった。進学希望調査はテキトーに書いていたし、センターの自己採点結果後の進学調査は書きたい学校がなかったので「東京大学」と書いていたのは今だから言えること。進学調査表を返却するときに先生が目も合わせてくれなかったことは、今でも鮮明に覚えている。笑

ただ選択肢を少なくしたくないという思いはあった。「重要な決断は後回しにできるなら、後回しの方がいい。だって明日から本気出すから。」といつも口癖のように思っていたからだ。高校のときに理系を選択していたのもそれが理由。文系から理系へ移ることは難しいとよく聞いていた。

ではどんな大学に行けば選択肢を少なくできるのか。僕はすぐにInformation Technology(IT)を選んだ。

どんな業界に就職したとしてもITは必ずある。パン屋だって、幼稚園だって、宇宙飛行士だって、プロサッカーの世界だって、音楽家だって、ITが必要な時代が来ると思っていた。まさに自分が高校のときはITを使って、その上に世の中を再構築している途中なのだと。

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これこそITが革命と言われる所以だと思い、IT系の大学でしかも「ソフトウェア」「ハードウェア」「通信」がすべて勉強できる大学を探したら見つかったのが、会津大学だった。これがセンターを終えた1月末の話。