「まぁ、いいか」という考え

センター試験まであと一ヶ月を切っているらしい。
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自分も高校生の頃、1年後に迫ったセンター試験、そして2次試験のために大好きだった部活を諦め、将来のために受験勉強に臨んだ。ゆとり世代と揶揄された世代のわりには頑張ったと自分では思っている。

今回の話はセンター試験の過去問分析に関してではなく、受験期に学校の先生に言われたひとことについて考察したい。
その言葉は「まぁ、いいか」という言葉だった。

思えば自分は恵まれた人生だった。
生きるために必死だった生活も両親の共働きのおかげでなかったし、塾にも通えた。
小中は隣り合わせの学校で、友人関係もエスカレータ式で困ったことはなかったし、成績も一時期部活やひん曲がった考えのせいで落ちぶれた人生はあったが、努力すればどうにかなった。高校も成績No.1の学校はガリ勉臭くて嫌で敢えてNo.2の学校に行き、「余裕」を味わえる学校生活だった。
しかし、人生で初めて味わった壁、センター試験はそう甘くなかった。

高校入学後最初の試験で上位の座になり、「余裕」を感じていた成績は高校2年間の間、120%部活に明け暮れたおかげで落ちこぼれ。特にひどかった英語の成績は偏差値30を下回っていたことをよく覚えている。要するに高校1年と2年の前半は全く勉強せず、センター試験1年前になってしまったのだった。
あの時はかなり焦りを感じていた。周りは志望校がどうの、将来の夢はどうのと言っていたが、夢を持たず、これまで何の不自由もなく勉強するフリさえしていれば、なんとかなっていた人生は遂に終幕を迎えようとしていた。

「何かしなければいけない」

その焦りから夢や志望校などお構いなしに勉強を始めるようになった。青春時代の半分以上を費やして頑張ってきた部活を辞め、ひとつ上の受験生たちと同じ空間で勉強するようになった。

何を勉強する?何も分からない。でも何かしなければいけない。

目標などない。今、勉強して偏差値という数値をあげることだけで必死だった。
何のためにしているの。生きるためにしている。学生という身分を与えてもらうために勉強している。
学生という身分がなくなることは、何の取り柄もない自分の唯一のアイデンティティをなくすことだった。

よく大人は言う。若いことが取り柄だと。
本当にそうだった。時間だけはある。他の人よりも勉強する時間だけはあるんだ。
それで何をする。いつ変わるか分からない夢を探り続けるのか。そんなの逃げているだけだ。
とにかく勉強する。それこそが自分にとっての自分を認める、たった1つだけの手段。

理想な青春時代はみんなと楽しく部活動をする。
ときに喜んだり、悲しんだり、わめいたり、怒ったり、そして恋をしたり…。
すべてを失った後、あんなになりたくなかったガリ勉になっていた。
休み時間、ひとことも話さずに勉強する。
何を勉強する?やれることをすべてやる。それだけで1日、そしてまたもう1日が終わっていった。



さて、気がつけば大学2年の年末。年末は1年間早かったなぁーと思う反面、来年も楽しみだなぁー!と思えたのは何年ぶりだろうか。あのとき、「まぁ、いいか」と言っていればどうなっていたんだろうか。「まぁ、人生なんとかなるさ」「まぁ、しゃーねーよな」「まぁ、気長にいこうよ」…。

今しかできないことは必ずある。
むしろ、今しかできないことばかりだ。
自分を変えられるものは自分しかいないし、自分が変えられるものは自分でしかない。

前も見えずに勉強し続け、出口の見えないトンネルの先に待っていたものは、偏差値という数値を20以上あげることと同時に、生きる術を学んだのかもしれない。