自分探しの旅

しても意味ないよ。
何も考えていないと。


自分探しの旅とは

個人的には「自分探し=自己分析のための1つのやり方」だと考えている。
将来の夢が思いつかないとか、自分って何みたいな迷っているときにやるものだと思う。

でも自分探しはやって意味のある人と、やっても意味のないただの小旅行に終わる人もいる。別に楽しかった思い出をつくるためならやっても意味があるのだと思うけれど、目的は本当にそれなの?


自分探しのやる目的

自分探しの旅ってのは、自分のゴール地点を探すための旅である。

例えば自分はどういう価値観を持っていて、どういう考え方をするのか、これまでの経験は何だったかなど、そういう自分の中を探す分析のために自分探しの旅を行うのは意味がない。多分満たされないと思う。

最終的に自分はこういうところに辿り着きたい。そのゴールは何かを探す旅こそ、自分探しをやる目的だと思っている。

もちろん、旅をすることによってこれまでにこういった経験をしてきた、こういう価値観を自分は持っているなど、外部からの刺激を受けることで確かめられる良さもある。しかし、それはゴールとなる場所が見つかって初めて自分の持っているアイテムは何か、意識し始めているということ。つまり、それを感じている時点で自分の中でのゴール地点はどこか既にわかっているということである。それが言葉に出来ていないだけの場合が多いが。

「思考プロセス」というブログ記事でも書くが、「考える」ということは思考するプロセス全体を指す。
自己分析も、今の自分は何が出来て、辿り着きたい場所はどこか、それを把握した上で何をするのか、考えるという思考プロセスが必要となる。それをせずに「自分ってなんだろう」と悩むのは、ハッキリ言って時間の無駄。
このときに辿り着きたいゴール地点が自分の中で見つからない、知らない場所にあるとき、それを具体的なものに置き換えることができて初めて自分探しの旅が完了することになる。

だから色々な場所に行って、俺はここに住みたいと思う。それでも自分探しの旅は成功したといえるかもしれない。でも自分自身の到着地点ってのは、人間としてどうなりたいか、ということに近いので、この地に住む人=到着地点とは思えない。住んだとしても住み始めてからも自分探しは続けていることになるだろう。(自分も大学を実家から遠方地にした経験もあり、実感している。)

なので色々な場所に行くことを目的とするのではなく、様々な人間と出会うことこそ自分探しの旅で最もやるべき内容だと思う。他の人と出会いつつ、どういう人になりたいのか、師匠を探す旅として、価値観を見つける旅として、自分と外部との交流として、自分探しの旅をすると、その旅は一生モノの価値があるものになるだろう。