大学は本当にいらないのか?僕の考える『大学像』について

会津大学に在学して4年が経過し、ちょうどShare Studyのとしちるさん*1から「大学像」をテーマに書いてほしいと何度も何度も熱いラブコールを受けたので投稿します(笑)*2


目次

大学は本当にいらないのか? 不要論の原因

今も大学進学率は年々増加傾向にあるらしく、2017年度の大学への進学率は全体で52.6%*3だそうです。そんな中で「日本には大学が多すぎる」とか、「今の時代は大学に行くべきではない」とか、いろんな声が飛び交っていますよね。

多分、その1番の原因は、社会にとって一番必要なことを学生の年代の若者たちが取り組めていないから、こういう議論が生まれるのだと思うんです。大学というものを置くことで、日本の若者の半数以上が大学生になり、10代後半から20代前半の最も柔軟性があり体力もあり脂乗っている学生が経済活動に貢献しきれていない、その現状に対する不満が大学不要論っていうところに出てきているのではないかと思います。

まさに少子高齢化による間接的な国の課題が、人々の不満として現れている代表例だと思います。社会のいたるところで労働者が不足し、高齢化している。そんな現状の中、博士取得した学生よりも、学部卒の学生を自前で育てた方が安月給でしかも瞬時に多くの人数を現場投入できます。

また大学で4年間学んできた知識よりも、会社でたった数週間の研修や実際に仕事をする中で得る知識・技術の方が直接仕事の現場に活用でき、給料も得ることができるので、会社の人も、学生だった人にとっても大学不要論は感情的に唱えたくなるのでないでしょうか。

しかし、私はそれでも大学はこの世の中には必要な場所であり、世の中で叫ばれている大学不要論のほとんどは本質的ではないと思っています。なぜなら大学不要論のほとんどが社会的な課題や資本主義社会による大学の立ち位置のゆらぎ(一時期のブームのようなもの)であり、そもそも大学を卒業する学生を積極的に雇おうとしている企業やより国富を増やしたい政府側の都合を述べたものがほとんどであると思います。大学自体は本来のあるべき姿さえ実現していれば特に問題がないと思います。

特に入学者も全体比率からして増加傾向にありますし、大学生の求人倍率もバブル期を超えている現状、大学自体不要であるという話と真っ向から現状が対立しています。その上で企業や社会が求める人材を育成する機関として存在になるかどうかは各大学ごとの経営・教育方針の次第ではないでしょうか。

後に述べますが、大学そのものがこの世界に生まれた当時の目的も今ではほとんどの大学は達成できていると思います。大学不要論を語る上では、どういった観点から不必要なのか、何を目的として議論をしているのか、明確にする必要があると思います。

では、そもそもの原点に立ち返り、大学はなぜ必要なのか。そこから話していこうかなと思います。

なぜ、大学は存在するのか。

「なぜ大学に行くのか」ーこの疑問に対する答えを得るには「そもそも大学ってなぜあるのか」という質問に答えなければなりません。

その質問の答えをイギリスの哲学者J. S. ミルは著書『大学教育について』で、大学で得る専門的な知識は、正しい方向へ利用し正しい方向へ深化させていくことができる能力を獲得するためのツールであると考えました。つまり、大学で得た知識をそのまま利用しているだけの者はJ.S.ミルから言わせれば「無能」であって、大学で得た知識に対して自らの考え・発想をもってより深く考察し、その真理に近づこうとする姿勢を兼ね備えた者こそ「有能」であると考えます。そしてそういった「哲学的」な姿勢を身に付けるということこそが、大学の「役割」であると考えました。

ちなみにこうした能力をJ.S.ミルは「一般教養(general culture)」と表現しています。

つまり大学は知識を得るような場所ではなく、あくまでも今ある学問が本当に正しいものなのか、あるいは純粋な好奇心に基づき知識を得て、さらに深く考えるための研究機関として大学というものは存在するのであり、教養のある人間を育てる場所なのです。この点が経済活動に結びつくことを目的としていないため、最も資本主義社会の求める部分と乖離する場合もあれば、最終的に見事に合致する場合もあるのではないでしょうか。

コンピュータ理工学部の観点から

ちなみに会津大学はコンピュータ理工学部単科大学なのですが、このJ. S. ミル的な考えをコンピュータ理工学部に当てはめてみると、既にある仕組みについて学び、その改良を試みることになります。コンピュータを次の世代へとバージョンアップをしていくにはどうすればいいか、理論だけでなく実際に手を動かしモノをつくりながらも取り組める学問ということです。その点こそ、大学と専門学校とが1番大きく異なるところでしょう。

福沢諭吉先生の慶應義塾大学創学の考え

また日本でも大学として創設する際の目的はどのようなところにあったのでしょうか。日本を代表する偉人の福沢諭吉先生は慶應義塾大学を創学する際に『芝新銭座慶應義塾之記』にてこのように記している。

今ここに会社を立て義塾を創め、同志諸子相共に講究切磋し、以て洋学に従事するや事本と(もと)私に非ず。
広くこれを世に公にし、士民を問わず苟(いやしく)も志あるものをして来学せしめんを欲するなり

つまり、創学の目的として
① 学問をともに「会社」、つまり同志による共同体をつくることで講究しつつお互いが切磋琢磨し合い、
② 洋学という学問に従事することが単なる私事ではなく、
③入社資格が身分ではなく「志」の有無にある
という3点を実現するためであると述べている。


実際に現代において、
① 大学として組織づくりを全国で作られており、
② 学生として身分が社会的に認められ、
③ ある一定水準の学問と経済レベルを有していれば誰もが入学できる
ので、どれも実現することが出来ているのではないだろうか。

高校生からしたら、1度は裏切られるかもしれない大学像

なのでここまで読んでみて、気づいた人はいるかもしれないですけども、高校生が端に「これを学べるから」「これを得られるから」と思って大学に入学してしまうと、大学は期待と全く違う場所であると期待を裏切られる人もいるかもしれません。

なぜかと言うと、大学は教育機関ではなく研究機関だからです。

なので教授陣は自分の研究を進めるためというものが一番の目的になりますし、 あくまでも後続を排出するということはその研究に直接的に関わるような人でない限り、教育する必要性は人により優先順位が変わってきます。もちろん、彼らは研究のプロであり、教えることに関してはプロではありません。

なので高校から大学に入学したら、学校の先生像の延長線上に教授像があると思ったら全く裏切られるかもしれません。僕も大学に来て、まず最初に教えてもらったことは「勉強は自分でやるもの」という超基本でした。

大学の多様化

社会的な求められるものに合わせて、大学はどんどん多様化しています。

単に学問を深められる場所を提供すればよかったものが、いつしか地域の課題が大きくなればなるほど(特に官公庁から資金を得ている公立大学法人は)その地域にとっての資産である「大学」として捉えられるようになり、その地域の問題を大学を通じて解決していくような人も出てくるでしょう。

あるいは良い就職を願って、その企業に求められる人材に成長するための機関として活用する人ももちろん出てくるだろうし、あるいは自分自身が今これだけの時間があるから、四年後の卒業証書さえもらえればいいからと考え、自分の、例えば卒業旅行に向けてバイト代を稼ぐ期間として大学在住の時間を使う人も出てくるでしょう。

そういった自分のやりたいことが実現できる4年間にはなっていると思います。

ただ最後の例は「モラトリアムを生むだけ」と批判する人も出てくるでしょうね。そこは今の日本の大学のほとんどが飛び級を認めず、大学の学部在学期間を4年間と定めてしまっていることに要因もあるような気がします…。

今の日本の現状は、高校で卒業したら企業に雇ってもらえないから、やむなく大学というものに入って四年間学び、卒業したら企業に就職できるステップアップの段階と考えられることがあります。しかし、単位さえ取れれば、多くの時間遊んでても四年間過ごして卒業証書さえもらえれば就職はできるわけで、果たしてこの四年間何の意味があるのかっていうものに対してすごく疑問に感じてる人は自分の周りにも多くいます。


特に大学で受けた授業と全く関係のない就職であったら尚更この疑問は深まるばかり。だから大学は不要なのではないかっていう話になっています。したがって、大学不要論の1番の問題は多くの大学生の雇用先となっている企業側とのミスマッチに問題あり、そういった需要に対して大学自体がどのように対処するかは別問題であると思います。

今後の大学像について

今後の大学は日本の人口減少と伴い、大学自体の運営も以前と増して難しくなってくるでしょう。そうすれば自然と大学も経営するための観点から逃れられなくなってきます。特に、

良い研究=お金を生む
良い研究室=特許料やベンチャー企業のようなもの

といったようにさらに経済的な指標によって、いかに結果を生み出すかがさらに求められてくる時代になると思います。

少子高齢化が進むことで、学生数も少なくなり、研究費用を自前の大学からいかにお金を生みだせるか。小泉内閣規制緩和で一気に増えた大学数もどれだけ生き残れるか、勝負の時代になってきそうです。

最後に

大学像について大まかに主観も入り混じりながら記しましたが、大学に入る人はどのように学ぼうとしても自由だと思います。特に入学から卒業までの期間が定められてしまっている場合は、その間の時間をどのように活用しても大丈夫だと思います。現に僕も学部2年を終えた段階で卒業に必要な単位数は取り終えていました。なので3年生のときは授業にほぼ出ていません。

ただこの社会で少しでも活躍できる人になりたい、という人は
① 何を学ぶために、
② どこの大学で誰のもとにいて、
② 課題をどのように解決するか
意識すればその後の研究にも仕事にも活かせるはずなので、損は絶対ないと思います。

大学教育について (岩波文庫)

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追記

というか宣伝。
来る2018年3月29,30日、茨城県常陸太田市に立地する『里山ホテルときわ路』にて、全国各地から集まったアンバサダーと共に語り合うACADEMIC CAMPを開催。「大学」を「学問」「地域」「教育」という観点から捉え、これまでにどのような歴史的・社会的背景があったのかを共有し、問題点や改善点を整理するためのワークショップを開催されます!ぜひ興味のある方はご参加下さい〜。
share-study.net

*1:青山俊之さん

*2:本記事は2018年3月29日,30日に行われるACADEMIC CAMPに関連し、自分の思う「大学像」について記したものです。

*3:大学進学率をグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース